国内外の名作を「教養コミック」として世界へ。全社横断プロジェクト「KADOKAWA Masterpiece Comics」が狙う新文化の創造
国内出版市場の縮小や若年層の活字離れが叫ばれるなか、KADOKAWAグループは、作品と読者の新たな出会いを生み出すさまざまな挑戦を続けています。国内外の名著を、気鋭の漫画家の手によってハイクオリティなコミックへと昇華させる「KMC(KADOKAWA Masterpiece Comics)」はそのひとつです。
KMCとは、漫画が持つ「学び直し・ファーストタッチ」としての価値を最大化させ、国内外へ届けるという全社横断プロジェクトのこと。単なる「名作の漫画化」にとどめることなく、エンタメ性の高いマンガで教養を得るという文化と市場を国内外でさらに広げ、コミックから原作小説へと読者を誘う「コンテンツ間の相互還流」までを見据えています。さらに、『アルケミスト』をはじめとする海外発の名著が持つ普遍的な魅力と、日本が誇る漫画表現を掛け合わせ、新たなエンターテインメントとして再び世界へと展開する「逆輸出」のビジネスモデルを生み出している点も大きな特徴です。
そして、画期的なプロジェクトのその原点には、KADOKAWAグループの従業員から海外事業のアイデアを公募する「GAP(グローバルビジネス・アクセラレーション・プログラム )(*1)」の存在がありました。
プロジェクトの立ち上げから、海外市場へと勝負に出た経緯、国内外の読者を惹きつけるための工夫、そして未来の展望まで、キーパーソン4名がその軌跡を語ります。
(*1)GAP:イノベーションプランコンテストの派生形として、KADOKAWAグループ内の海外事業案件の種の発掘や、海外事業に関心のある人材の発掘をすべく、ワークショップ型の海外事業開発&人材開発を行う取り組み
「名作のコミカライズ」が持つ高いポテンシャル
「KMC」の構想が生まれたのは2022年春のことです。当時、ビジネス書や実用書を作る教養・生活文化統括部ビジネス編集部では、大人の学び直しに寄与する新たなコミックレーベルの立ち上げを模索。最終的に決まったのが、国内外の名作のコミカライズでした。
KMCの立ち上げを編集者として支えたビジネス編集部(当時)の伊藤瞳さん(現・海外事業統括室海外マンガ編集部)がプロジェクトの背景を振り返ります。
伊藤さん:「2020年に当社のコミック局から刊行された『戦争は女の顔をしていない』のコミック版に大きな衝撃を受けたのがプロジェクト立ち上げのきっかけになり、私が編集担当を務めることになりました。ノーベル賞作家であるスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの原作では、女性たちが自らの悲惨な戦争体験を率直に語っています。ただ、海外では広く知られた名作だった一方、日本では「知る人ぞ知る」作品だったのが当時の印象でした。
ところが、いざ当社でコミック版を刊行してみると40万部超えの大ヒット(当時)を記録したのです。なかなか手が伸びにくい骨太な作品であっても、適切にコミカライズすれば多くの人に作品の魅力を届けられる。この漫画のパワーに強い感銘を受けたもう一人の担当者を中心に、国内外の名作を大人が楽しめる形でコミックにするという方針が固まったのです」
こうして産声をあげたKMCの最初のラインナップには、ポール・ギャリコ原作の『猫語の教科書』、柳田国男原作の『遠野物語』、パウロ・コエーリョ原作の『アルケミスト』、そして筒井康隆原作の『残像に口紅を』の4作品を選定。さらに、巻末には専門家や作家による専門的な解説を入れることも決まり、教養とエンタメの絶妙なバランスを狙った新たなコミックレーベルは着実に形となっていきました。
気づきと公募制度が切り拓いた海外展開への道
しかしKMCは当初、国内販売のみの想定だったといいます。そんな中で海外展開のきっかけを作ったのは、グループ経営管理局ビジネスマネジメント部の井上亜美さんの気づきでした。
井上さん:「実用書の電子書籍売り上げをより伸ばしたいと考えている時、ちょうどビジネス編集部の皆さんが名著のコミカライズを始めるという話を耳にしました。最初は電子書籍と相性の良い漫画の企画という点に興味を持ったのですが、ラインナップの中に全世界で1億部以上も売れている『アルケミスト』が入っていると知り、ビジネスとしての大きな可能性を感じたのです。ちょうどその時期に、第1回のGAPのエントリーが開始されていました。私自身は全く海外事業の経験がなかったのですが、海外事業局の知見をお借りして、編集部と一緒に『KMC』の可能性をグローバルに広げることができたら、大きなチャンスになるのではないかと思いました」
こうしてGAPにエントリーされたKMCは社内での審査を見事に通過し、GAPの記念すべき第一弾プロジェクトとして採択されます。
井上さん:「そもそも日本で実績のない作品を海外拠点に売り込むのは困難です。その点、ビジネス編集部の方々には『まず国内で必ず成功させる』という並々ならぬ覚悟がありました。何よりもまず編集部が国内でのKMC展開に向けて力を入れてくださっていたこと、また採択に向けて伊藤さんをはじめとする当時の編集部の皆さまが通常業務の中でも自分ごととしてご尽力くださったことが、GAPでの採択につながった大きな理由のひとつではないかと考えています」
そして、漫画としての完成度の高さと効果的なプロモーションが実を結び、2024年6月に刊行がスタートしたKMCは好調なスタートを記録します。この国内での実績を受け、KADOKAWAグループの各国拠点でも販売を希望する声が一気に広がっていきました。
伊藤さん:「GAPのおかげで海外展開を見据えて本をつくるという新たな視点が得られたと感じています。英語力を活かして各拠点の担当者にニーズをヒアリングしたり、売り込みを行ったり、原著者サイドと交渉したりと貴重な経験もできました。こうした一連の挑戦を通じて得た知見や手応えは、編集者としても大きな財産になっています」
「漫画としてのクオリティ」を徹底追求
軌道に乗ったKMCは現在、魯迅原作の『阿Q正伝』、夏目漱石原作の『門』、森鴎外原作の『ヰタ・セクスアリス』、そして横溝正史原作の『本陣殺人事件』の4作品が加わり、合計で8作品を展開中です。このうち刊行済の中国語繁体字版、フランス語版、ポルトガル語版の作品のほか、今後も複数の言語で刊行予定であり、海外からの引き合いはいっそう強まっています。
KADOKAWA Masterpiece Comics https://masterpiece.kadokawa.co.jp/
こうした中、2025年に伊藤さんと井上さんからKMCのバトンを託されたのが、現在プロジェクトリーダーとして関連部署との調整、巻末解説の編集を担うソーシャル・パブリッシング局ウェルビーイング編集部ビジネス1課兼海外事業統括室名著コミカライズ海外展開プロジェクトの小川和久さんと、漫画編集を担う青騎士編集部の山本年泰さんです。
(左)ソーシャル・パブリッシング局ウェルビーイング編集部ビジネス1課兼海外事業統括室名著コミカライズ海外展開プロジェクト 小川和久さん
(右)コミック第4部青騎士編集部 山本年泰さん
KMCの最もこだわっているポイントについて、山本さんは「シンプルに漫画としてクオリティの高い作品を作ること」だと語ります。
山本さん:「原作の魅力を引き出しつつも、できるだけ早い段階で作品の本質を示すインパクトの強いシーンを入れ、『もっと続きを読みたい』と思ってもらえるような引きを意識的に作るようにしています。いかに早く読者を作品の世界観に惹きつけるかが漫画としての勝負どころだからです」
その上で、KMCでは海外読者を意識したアプローチも欠かせません。特に重要となるのが作画の芸術性です。
小川さん:「当社の各国拠点の人間と話していると、海外読者は作品のテーマ性だけでなく、作画の印象を非常に気にしていることがよくわかります。読み手が引き込まれるような芸術性があるかどうかで売れ行きが大きく変わるのです」
山本さん:「原作の持つ世界観と漫画家さんの個性をいかにマッチさせるかは非常に大事なポイントです。そのため作品ありきではなく、漫画家さんを起点に企画が進むこともあります。『ヰタ・セクスアリス』はその代表例で、國安ユウキさんの耽美的な画風に合う原作を探した結果、この作品に行き着きました。カドコミ連載時点からXでも反応が高く、Instagramでも海外ユーザーから多くの反響が寄せられるなど、いち早くSNS上で話題を呼んでいました。特に欧米圏では、その緻密で美しい描き込みが『現代のアート』として高く評価されており、海外市場に向けた強力な版権輸出の武器になっています」
ときには、こうした漫画としてのクオリティの追求と巻末の専門家による解説が共鳴し合うこともあるといいます。
山本さん:「個人的に『本陣殺人事件』の制作は特に苦労しました。小説を漫画にする以上、どうしてもエピソードを削る必要があるのですが、ミステリー作品では伏線や説明をひとつでも削り間違えるとトリック全体が崩壊してしまうのです。何十回と原作を読み込み、ページ構成を何度も見直しました。
ただ、本作の巻末解説で二松学舎大学文学部の山口直孝教授に『無駄なコマがひとつもない』とお褒めの言葉をいただけたときは苦労が報われた思いでした」
コミックと文庫が影響し合う。KMCが実現する相互環流
こだわりは漫画の中身だけにとどまりません。KMCには価格設定にも明確な意図があります。本体価格も一般的なコミックより高い1,300円〜1,400円台(税込)に設定している理由を、小川さんはこう語ります。
小川さん:「KMCはあえて高価格帯で勝負をしています。これは、昨今の出版業界全体のコスト高に対応しつつ、装丁デザインにも力を入れた高いクオリティの本を作るためです。その上で、漫画家さんにしっかりと還元できる持続可能な仕組みを作らなければなりません。業界のリーディングカンパニーとして、KADOKAWAは高価格帯に耐えうる価値ある本づくりを率先して進める必要があると考えています」
実は、KMCはジャンルの枠を超えた大きなシナジーも生み出し始めています。コミックを入り口として読者が原作の文庫本などを買い求めるコンテンツ間の相互還流が起きているのです。
小川さん:「例えば『アルケミスト』のコミック刊行後、角川文庫の原作小説の月間売上冊数は明らかに伸びています。当然、原作を読んだ方がコミック版を読むという流れもあるでしょう。様々な出版部門を抱えるKADOKAWAだからこその理想的な循環が生まれています」
オープンレーベル化が拓く未来。KMCを世界ブランドへ
「漫画で教養を得る」という文化を海外にも根付かせつつあるKMCは今、さらなる飛躍に向けて次の一歩を踏み出そうとしています。
まず、控えているのがラインナップの拡充です。谷崎潤一郎原作の『春琴抄』、泉鏡花原作の『高野聖』、フランツ・カフカ原作の『城』、そして横溝正史原作の『獄門島』が順次刊行予定となっています。
さらに9月からは組織体制を見直し、KMCは社内の様々な編集部の人間が制作に参加できるオープンレーベルへと移行します。
山本さん:「一口に編集者と言っても、ジャンルが違えば完全に『違う職業』です。接してきたコンテンツも違えば、担当分野の常識も違う。僕のようなコミック編集者には専門家を巻き込んだ解説ページの構成は作れませんし、逆にビジネス書の編集者には漫画家さんとのネームの打ち合わせは難しい。
『餅は餅屋』ではありませんが、だからこそお互いの専門領域をリスペクトし、得意分野を活かし合う連携が不可欠なのです。こうしたビジネス書編集部とコミック編集部のタッグは、多様な出版ジャンルを自社で抱えるKADOKAWAだからこそ実現できる大きな強みだと感じています。今後は多種多様な編集者がKMCに参加することでさらなるシナジーが生まれ、扱う作品のバリエーションや表現の幅が一気に広がるはずです」
プロジェクトリーダーとして小川さんはどのような未来を描いているのでしょうか。
小川さん:「私たちの最終目標は、世界各地の書店の店頭にKMCシリーズがずらりと並び、現地の子どもから大人までたくさんの人が日本のマンガを通じて名著を楽しんでくれる世界を作ることです。KADOKAWAのコンテンツ力と海外ネットワークをうまく組み合わせ、このレーベルを世界に誇れるブランドへと育てていきます」
部署の垣根を取り払い、日本の漫画表現で世界中の読者の心を揺さぶるKMC。KADOKAWAが持つ総合出版社としての強みを武器に、自らの企画やアイデアでグローバルビジネスを創り出す刺激的な舞台が広がっています。この挑戦的な漫画プロジェクトは、次なる挑戦者と共に、出版の未来を大きく切り拓いていくはずです。
関連情報
※KMCの取り組みについては、KADOKAWAの「統合報告書2026」でも紹介しています。あわせてご覧ください。
https://group.kadokawa.co.jp/media/ir/media-download/2488/cb4070fe812f43fc/PDF/
※KADOKAWA Masterpiece Comics
今回紹介した各作品の詳細はこちらでご紹介しています。
https://masterpiece.kadokawa.co.jp/