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速報!本邦初の研究成果を続々発表!「バチカンと日本 100年プロジェクト」【公開シンポジウム長崎会場】を盛大に開催!

日本の文化振興に寄与するための事業を手掛ける公益財団法人角川文化振興財団(理事長:角川歴彦)は、バチカンと共同で取り組む国際文化交流プロジェクト 「バチカンと日本 100年プロジェクト」(朝日新聞社共催)のメインプログラムの一つとして、ヴェールに包まれていたバチカンと日本の450年を紐解く公開シンポジウム「バチカンに眠る日本の記憶 ―文化と交流の450年・教皇の知り得た日本―」 を、2022年4月10日(日)10時より、長崎県長崎市の長崎ブリックホールにて開催しました。

左から中村史郎(朝日新聞社代表取締役社長)、岡田誠司(駐バチカン日本国特命全権大使)、中村倫明(カトリック長崎大司教区大司教)、田上富久(長崎市長)、大石賢吾(長崎県知事)、川村信三(上智大学教授)、シルヴィオ・ヴィータ(京都外国語大学教授、イタリア東方学研究所研究企画代表)、高見三明(カトリック長崎大司教区名誉大司教)、角川歴彦(角川文化振興財団理事長)

  • 2022年バチカンと日本の国交樹立80周年を記念!
バチカンに眠る日本の記憶―文化と交流の450年・教皇の知り得た日本―
 バチカン図書館やバチカン文書館には、潜伏キリシタン時代の日本に関する報告史料や、20世紀前半のローマ教皇庁と日本政府の外交関係史料など、さまざまな史料が存在すると言われてきましたが、多くは未解明のままです。
 元文化庁長官で多摩美術大学理事長の青柳正規氏を代表とする、総勢10名を超える研究チームには、バチカン・教皇庁文化評議会(Pontificium Consilium de Cultura)の後援のもと、これまで日本の研究者には許可されていなかった資料が特別に開示され、新たな発見に結実しはじめています。研究分野は多岐にわたります。
 今回の長崎でのプログラムは、昨年11月に東京で開催された公開シンポジウムをさらにバージョンアップ。昭和天皇とバチカン政府との関係を示す文書の発掘や長崎二十六聖人の列福成立を紐解く研究、バチカンと核兵器問題など、日本には記録が残っていない、長崎とバチカンに関わる貴重な研究成果の発表も多く盛り込まれ、まさに本邦初の歴史的瞬間に立ち会う絶好の機会となりました。
  • 川村信三 氏 (上智大学教授) 挨拶 

川村信三 (上智大学教授) 川村信三 (上智大学教授) 

 我が国の歴史上、数多くの文化交流が存在する中、特にバチカン市国に焦点が当てられた理由は、450年前の天正遣欧使節、慶長支倉使節等をはじめとし、さらに近現代における日本国皇室と教皇庁との関わりなど、バチカンと日本の450年の交流史という背景が存在するからです。世界中のキリスト教徒が交わりを実現するという特別な事情によりローマ教皇のお膝元バチカンは、世界中からの情報や文物が集中しやすい特別な環境を有しております。その成果はバチカン図書館、文書館および博物館における世界屈指の所有物からも明らかになるところです。その膨大な収集物の中には450年以上にわたる日本との交流を跡付ける歴史史料が、未発見のものを含め、数多く存在しております。 
 今回本プロジェクトの研究部門はバチカン市国図書館、文書館、博物館の全面的な協力を得て、これまでに蓄積されたバチカンと我が国の文化交流についての史料を整理し提示すると共に、新たな発見をも期待しながら調査を進めるという特別な位置づけを与えられてきました。
 2020年の新型コロナ感染症によるパンデミックにより、研究活動の継続に支障をきたした現実もありましたが、研究グループはできる限り、バチカンとの連絡を持ち続け、かつ現地調査研究者との連絡を密にし、今日に至っております。 
 1571年の開港から450年を祝ったばかりの長崎は、海外交流の窓口として日本史上、他に類例を探すこともできないほどの豊かな伝統と文化に恵まれた地として日本国内はもとより、遠く諸外国にも知られた存在となっております。中でもキリスト教とこの街の繋がりを語ることなく歴史探究はないと思われます。 
 400年前の長崎住民は禁教という困難に遭いながらも、キリスト教徒として、遠く離れたローマに想いを馳せ、歴代の教皇との直接の交流を育みました。その足跡はこの地に確かに刻み込まれ、世界文化遺産、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の登録によって、より一層世界に印象づけられたものになったと思います。
 今回ご当地長崎とバチカンの関係に注目する研究発表を中心に、このシンポジウムを形成いたしました。私どもの研究調査はまだ途上にあるものであり、なお前進していく所存です。
  • 角川歴彦 氏 (角川文化振興財団理事長) 挨拶 

角川歴彦(角川文化振興財団理事長)角川歴彦(角川文化振興財団理事長)

 この日本とバチカンの研究プロジェクトが始まってもう5年になります。今日のこの日、大団円の日を聖地・長崎で迎えることができることを心から感謝申し上げたいと思います。
 最初にバチカンに行ったときには、一出版社として、西欧の中心としてのイタリア、バチカンからこのプロジェクトをやってみたいという途方もない 野心を持ったもったわけですけれども、もちろんそれは決定でもなければ、予定でもありませんでした。今日の新しい教皇が長崎と広島にどうしても来たいという希望をもっておられるという話を聞いて、それも一つの大きなきっかけになりました。もちろん出版という仕事そのものはグーデンベルグがドイツで発明したものでありますが、発展したのはイタリアでした。そういうこともあって、一出版社には手に余る仕事だなと思いつつ、決断した訳でございます。
 この5年にわたって研究が続いて、そして今日発表会を迎える。コロナ禍ではありましたけれども、それまで色々なイベントについてもつつがなく進められているということは、この仕事自体が、大きく言えば日本にとって意義ある仕事だったからだと信じております。 
 今日をもって大団円ではありますけれども、それで終わるわけではありません。引き続き、今日発表される先生方は、その学問を続けていただきたいと思いますし、角川が全面的に協力できるところはやっていきたいと思っております。どうか、今日のこの日を記念すべき日としつつ、これからの大きな成果に向かって発展途上であるということも確認しながら、私の挨拶にしたいと思います。
  • 中村史郎 氏 (朝日新聞社代表取締役社長) 挨拶 

中村史郎(朝日新聞社代表取締役社長)中村史郎(朝日新聞社代表取締役社長)

 私ども朝日新聞の長崎県版に、ナガサキノートという被爆者の記録を書き取る長期連載がございます。今はしばらく休載しておりますけれども、長崎総局の記者たちが、自分たちが被爆者の声を直接聞いて記録に留められる最後の世代になるのではないかという思いから、2008年に始めた企画です。これまでに通算3968回、300人を超える方々に証言を頂いております。本日、ご来賓としてお越しの高見三明長崎大司教区名誉大司教にもご登場いただいたことがあります。この連載にはカトリック信者の方々が何人か登場されておられます。長崎大司教区の広報委員を長く務めておられた深堀柱さんは15歳のときに被爆され、その体験を進んで語ってはおられませんでしたけれども、1985年にバチカンで原爆展が開かれた際、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世が、広島、長崎の被爆者が自らの体験をもとに語ることで、戦争に勝る平和の価値を称えることができると語ったことをきっかけに魂を揺さぶられ、考えを変えたということだそうです。2017年に82歳でお亡くなりになるまで原爆の悲惨さを伝えることにこだわり続けてこられました。今、ロシアによるウクライナ侵攻で大変多くの犠牲者が日々出ております。 ロシアは核兵器を保有する大国であり、核の脅威が再び生々しい現実になっております。一日も早い収束を願わずにはおられません。 
 ここ長崎市には、1981年にヨハネ・パウロ2世、2019年にフランシスコ教皇が訪れられ、それぞれ核兵器廃絶や世界平和の確立を強く訴えられました。 その地で、日本と世界の関わり、文化文明の交流、相互理解をテーマとするこのシンポジウムが開催されるということに大変意義深いものだということを感じております。 450年の交流の歴史を持つバチカンがどのように日本を捉えていたのか、その疑問を解き明かすために、バチカン側に保存される膨大な未解明史料を紐解くのが、本プロジェクトの目的です。 
 本日参画いただいている研究者の皆様には、古い時代から近現代の天皇家とカトリックとの交流まで本日はその成果、最新の成果を発表いただくことになっております。コロナの影響で現地の研究計画を変更せざるを得なくなるなど、大変ご苦労があったというふうに伺っております。 新しいアプローチや発見に繋がる成果が、本日うかがえることを私としても楽しみにしております。
  • 岡田誠司 氏 (駐バチカン日本国特命全権大使) 挨拶

岡田誠司(駐バチカン日本国特命全権大使)岡田誠司(駐バチカン日本国特命全権大使)

 バチカンは、教皇聖座と物理的なバチカン市国の総称としてバチカンというふうに我々は呼んでおりますが、バチカンは国としてどういう役割を担っているのかというのは、なかなか理解するのが難しいことだと思います。 
 実は外交の世界ではいろいろな国と交渉するにあたって、外交上のツールというものもあります。経済的な力であったり、文化的な力であったり、あってはならないですが力を背景とする外交。こういうことを一つのツールとしていろいろな外交を進めていく。
 もちろんバチカンに軍事力はありません。大きな経済力もありません。国としてのバチカンを見てみると、日本の皇居の半分ぐらいの大きさの場所に、約800人の方が住んでいる。そういう国がなぜ国として成り立ち、どういう外交をするのか。
 一つ非常にわかりやすい例をお示しすると、私は実はバチカンに大使として赴任する前には、アフリカにあります南スーダンという国で大使をやっておりました。 南スーダンというのは2011年に独立した世界で一番若い国です。残念ながら、独立後に中で内紛が始まりまして、非常に紛争の絶えない国です。そうした国の中で、国際社会でどうやってその和平を達成するのかということが、日本の大使として駐在している私にとっても大きな課題の一つであり、まさにその和平に向けての活動を行っておりました。 
 やはり我々第三国ができることには限界があります。紛争当事者の間で話し合いが行われるような場を設定する、環境を作る、それで和平を促していく。しかし実際に紛争当事者の間に入っていって、和平を促すことは容易なことではありません。
 そういう中で、2019年の4月、フランシスコ教皇が南スーダンの紛争当事者二人、大きな敵対する二人のリーダーをバチカンに呼びました。苦しんでいるのは一般の国民ですから、やはりその国民のことを考えてきちんと和平をしなさいということを直接語りかけられました。そのとき驚いたことに、フランシスコ教皇が二人のリーダーの前にひざまずいて、二人の靴に接吻しました。この写真は南スーダンに大きく報じられて、この写真のインパクトというものは、ものすごく大きな影響力がありました。南スーダン国民がそれを見て、国民一人一人から、紛争は十分である、という草の根の声があがってきて、結果として翌年2020年2月にこの敵対するリーダーは連立政権を作って、国が一つにまとまりました。私はそれを見たときに、これがバチカンの解放だということを強く感じました。こうしたことができる、カトリックとしての教皇の精神的な影響力、一方ではバチカン市国という国の教皇庁の元首としての力、があって初めて成し得たことです。バチカンの外交というのはまさに力でもなく、お金でもなく、その外交上のツールというのは、精神的な影響力、これがやはりバチカンを支える大きな外交力だということを認識いたしました。 
 これが今、現在のバチカン市国、バチカン教皇庁が、教皇聖座が行っている外交ということです。こうしたことを皆さんにご紹介した上で、今日これから450年に及ぶ長い長い日本との歴史の中で、どういうことがあったのかということを、私自身も聞けるのを非常に楽しみにしております。
  • 大石賢吾 氏 (長崎県知事) 挨拶 

大石賢吾(長崎県知事) 大石賢吾(長崎県知事) 

 ここ長崎はかつて小ローマと称されるほど、キリスト教が繁栄しておりました。 長崎港から旅立った天正遣欧少年使節は、ローマで教皇グレゴリウス13世と謁見して大歓迎を受け、今もヨーロッパの地にその足跡を残しております。その後、日本は教えが禁じられる時代へ移りますが、長崎のキリシタンたちは250年もの間、厳しい弾圧と潜伏のときを乗り越えて、信仰を繋ぎ、東洋の奇跡と驚きを与えた大浦天主堂での信徒発見は感動をもってローマに報告されたといいます。 
 この潜伏キリシタンの独自の宗教的伝統を物語る集落等、12資産が長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産として2018年に世界遺産に登録されております。登録にあたりましては、バチカンをはじめ、歴代の駐バチカン日本国大使の皆様方には大変お力添えをいただいたところであり、改めて感謝を申し上げます。 本県では、この世界遺産を未来に継承していくとともに、12の構成資産をつなぐ世界遺産の巡礼の道を設定し、多くの方々に歩いていただけるよう、更なる活用を図って参りたいと考えております。
 また、これまで長崎にはお二人の教皇が訪れてくださいましたが、令和元年には教皇フランシスコ台下が、長崎市の原爆落下中心地から、核兵器廃絶に向けた平和のメッセージを世界に発信していただきました。 
 バチカンと日本の国交樹立80周年に当たる本年、バチカンと深い関わりを持つ長崎で、このようなシンポジウムを開催していただくことは、本県の魅力ある歴史文化の国内外への発信、交流人口の拡大と繋がることが期待できるものであり、心からお礼を申し上げる次第です。
  • 公開シンポジウムをオンラインでも配信!

ディスカッションディスカッション

 長崎を会場に開催された今回の公開シンポジウムでは、長崎とバチカンの関係に焦点を絞った研究成果も多数、発表されました。詳細については、後日公開いたしますオンライン配信にてご覧いただくことができます。オンライン配信については、「バチカンと日本 100年プロジェクト」公式サイトにてお知らせいたします。

https://vj100.jp/event/

主催:角川文化振興財団
共催:朝日新聞社 
協賛:NTTデータ 凸版印刷 みずほ銀行 KADOKAWA 
後援:外務省 駐日ローマ教皇庁大使館 駐日イタリア大使館 教皇庁文化評議会 カトリック中央協議会
イタリア文化会館  イタリア東方学研究所 長崎県 長崎市 大村市 五島市
助成:文化庁/独立行政法人日本芸術文化振興会 令和4年度日本博イノベーション型プロジェクト
  • ~公開シンポジウム長崎会場 プログラム概要~
●挨拶            
・・・川村信三(上智大学教授)/角川歴彦(角川文化振興財団理事長)/中村史郎(朝日新聞社代表取締役)/岡田誠司(駐バチカン日本国特命全権大使)/大石賢吾(長崎県知事) 
●シンポジウムによせて ビデオレター
ローマ市民権とド・ロ神父
・・・青柳正規(多摩美術大学理事長、橿原考古学研究所長、東京藝術大学特任教授、東京大学名誉教授、日本学士院会員)
バチカンと日本の歩み                                  
・・・デ・メンドンサ枢機卿 (Card. José Tolentino de Mendonça)
●基調講演
教皇たちと日本 バチカンから見るキリシタン遺産                 
・・・川村信三(上智大学教授) 
●プログラム 第1部 いま甦るバチカンの記憶
1.バチカンに眠る史料  バチカン図書館・文書館の歴史とその特徴   

・・・原田亜希子(帝京大学講師) 
2.平戸地方キリシタンの信仰様相 かくれキリシタン信仰から見えてきたこと
・・・中園成生(平戸市生月町博物館・島の館学芸員)
●プログラム 第2部 新地平への窓
◆ 近世
1. 長崎から世界へ 長崎二十六殉教者列福成立の立役者たち

・・・小俣ラポー日登美(京都大学 人文科学研究所 白眉特定准教授)
2. 日欧を結ぶ音信と旅路 鎖されゆく「扉」と2人のポルトガル人イエズス会士 (共同発表)
・・・阿久根晋(日本学術振興会特別研究員PD、京都府立大学非常勤講師) 
・・・木﨑隆嘉(東京大学・慶應義塾大学ほか非常勤講師)
3. バチカン文書館所蔵のシドッチ関係史料をめぐって            
・・・浅見雅一(慶應義塾大学教授)
4. マレガ資料群をめぐる交流とキリシタン研究の可能性    
・・・大友一雄(国文学研究資料館名誉教授)
◆ 近現代
1. 長崎・五島・天草地方をはじめとするキリスト教建築の諸相  

・・・山田由香里(長崎総合科学大学教授)
2. バチカン文書が物語る日本との外交関係 日本宣教に生涯を捧げたT.A.フォルカード(1816-1885)                       
・・・大瀬高司(跣足カルメル修道会日本総長代理)
3.バチカン「アニマ・ムンディ」民族学博物館蔵のジャパニーズコレクションの諸相 寛文~延宝期の十三尊仏画を例として(1661-1681)
・・・ミシェル・ゴ-ヴァン(Michel Gauvain)(バチカン布教民族博物館非常勤研究員)
4. バチカンと核兵器問題 唯一の被爆国日本との特別な関係        
・・・松本佐保(日本大学教授)
5、バチカン使節がみる近代日本の天皇(1905-1945)   
・・・アレクザンドラ・フォン・トイッフェンバッハ(Alexandra von Teuffenbach)(教会史研究者)
●プログラム 第3部 ディスカッション                 
・・・司会/川村信三(上智大学教授)
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