日米開戦80年の今、純粋に「軍人」としての能力を問う――。
戦争に反対しながら、戦争を指揮したことで「悲劇の提督」となった山本五十六。そのイメージは名将から、その反動としての凡将・愚将論まで、百家争鳴の状態となっている。しかし、これまでの分析は政治との関わりに集中し、軍人・用兵思想家としての評価は後景に退いていた。戦略・作戦・戦術の三次元における指揮能力と統率の面から、初めて山本を解剖する。
■重慶爆撃にもつながる、無差別爆撃を山本は本当に志向したのか?
■山本は独ソ和平工作を仕掛けた
■近衛文麿首相に放った山本の「半年や一年の間は随分暴れてご覧に入れる」発言の真相
■航空戦力を重視した山本は、ハワイすら爆撃できる航空機を求めていた
■真珠湾攻撃、第二撃は当時から断念やむなしの空気だった
■戦艦を捨てきれなかった山本
■ミッドウェイで戦術的怠惰はあった
■ガダルカナル奪回作戦で、山本は「ぶれた」
■MI作戦(ミッドウェイ攻略)は最初から杜撰な計画だった
■1930年代の山本の評価は「軟弱な親英米派」
■第一次ロンドン軍縮会議では山本は艦隊派に与していた
■航空主兵論に大きな影響を与えた堀悌吉
■陸攻は戦略爆撃でなくアメリカ艦隊撃破のためにつくられた etc.
序 章 山本五十六評価の変遷と本書の視点
第一章 雪国生まれの海軍士官
第二章 翼にめざめる
第三章 戦略家開眼
第四章 第二次ロンドン会議代表から航空本部長へ
第五章 政治と戦略
第六章 連合艦隊司令長官
第七章 真珠湾へ
第八章 山本戦略の栄光と挫折
第九章 南溟の終止符
終 章 用兵思想からの再評価
あとがき 主要参考文献
現代史家。1961年東京生まれ。立教大学大学院博士後期課程単位取
得退学。DAAD(ドイツ学術交流会)奨学生としてボン大学に留学。千葉大学その他の非常勤講師、防衛省防衛研究所講師、国立昭和館運営専門委員、陸上自衛隊幹部学校(現陸上自衛隊教育訓練研究本部)講師等を経て、現在著述業。雑誌『歴史と人物』(中央公論社)の編集に携わり、多くの旧帝国軍人の将校・下士官兵らに取材し、証言を聞いてきた。『独ソ戦』(岩波新書)で新書大賞2020大賞を受賞。著書に『「砂漠の狐」ロンメル』『戦車将軍グデーリアン』(角川新書)、『ドイツ軍攻防史』(作品社)、訳書に『「砂漠の狐」回想録』『マンシュタイン元帥自伝』『ドイツ国防軍冬季戦必携教本』『ドイツ装甲部隊史』(以上、作品社)、共著に『帝国軍人』(戸髙一成氏との対談、角川新書)など多数。