聖イグナチオ教会で上映中の「殉教血史 日本二十六聖人」国立映画アーカイブ所蔵
1597年2月5日に長崎県長崎市・西坂の丘で殉教した、国内のカトリック信仰のシンボルとして有名な日本二十六聖人。彼らの壮絶な運命をドラマチックに描いた1931年製作の歴史超大作「殉教血史 日本二十六聖人」の上映イベントが、公開時と同じく活動弁士、楽団付という演出で、カトリック麹町聖イグナチオ教会にて開催されました。
当時、6億円という巨額の私財を投じ、ローマでの撮影ロケも敢行して製作したのは、長崎出身のカトリック信徒、平山政十。彼は本作を日本国内での公開だけでなく、アメリカやヨーロッパでの上映にも踏み切るなど、並々ならぬ心血を注ぎ、アメリカのカトリック雑誌「The Lamp」(1932年)では、“アメリカで初めて公開された日本映画” として紹介され、全米約200個所で上映、およそ15万人が観賞したといわれています。
今回の上映イベントでは、公開された昭和6年当時同様、活動弁士、楽団の生演奏付で、しかも教会内で実施するという普段めったに見ることのできない趣向を凝らした演出で開催。活動弁士、澤登翠さんの情感あふれる語りと無声映画専門楽団、カラード・モノトーンの哀歓に満ちた美しい調べにのせた壮大な歴史ドラマに、約300人の観客は固唾をのんで見入っていました。また終映後は、感動の大きな拍手で会場が包まれました。
挨拶するローマ教皇庁駐日大使のレオ・ボッカルディ大司教
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ローマ教皇庁駐日大使のレオ・ボッカルディ大司教は、上映を前に次のように語りました。(一部抜粋)
これからご紹介するこの復元版(映画)は、2017年2月6日(月)、日本人殉教者の祝日にバチカンで初公開されました。1587年に豊臣秀吉が日本での伝道に終止符を打ったのは皆様ご存じの通りですが、迫害の激化は、長崎で26人の宣教師を磔にする事態にまで発展したのです。
明後日、2月6日は「聖殉教者の祝日」の祝日であり、私たちキリスト教徒にとって、今日この映画を見ることは大変意義深いことと思います。
この映画は、1597年2月5日に長崎で殺された26人の日本人殉教者について、私たちが知っている物語を90分間で再現しています。1931年当時、その映画製作方法は現代に比べると大変慎ましいものでした。皆さんもご存じのマーティン・スコセッシ監督作品のようなものとはかなり異なります。何よりも、カメラが常に固定されていることが特徴です。舞台は壮大で、西洋の視聴者は当時あまり知られていなかった異文化を知ることができるものになっています。
また同じカトリックでも、イエズス会よりもフランシスコ会の存在感が際立っています。そして、26人の殉教者の中でも、監督が子供の顔をクローズアップしているのが印象的です。信仰心を子供の笑顔で表現しているのです。
モノクロ、かつサイレントでありながら、殉教の一歩手前で喜びのうちに生きる信仰の可能性を繰り返し提示しています。彼らの笑顔は疑う余地がなく、殉教者たちがいかに信仰の中に喜びを感じながら殉教していったかを知ることができます。
小さなアントニオ、これは子供の名前ですが、詩篇113編「Laudate pueri Dominum」を歌いながら亡くなり、彼と一緒に他の二人の仲間も歌っている様子がわかります。宣教師が登場することで、ポルトガルの植民地主義の前衛ではないかという疑惑が生まれましたが、この映画には政治的な意味合いはありません。
この映画は、日本の文化と殉職者の勇気を称えたいと考えています。クライマックスは、浜辺で十字架に磔にされた人々が槍に刺される映像です。その横に母親がいることは、イエスが磔刑にされたときのマリアの存在を彷彿とさせます。
磔刑の場面から、3世紀後の1862年6月8日、教皇ピオ9世の時代にバチカンで行われた列福式の場面に移るエンディングは、とても美しいものです。
殉教を描いたスコセッシ監督のドラマチックで痛快な作品とは全く異なり、謝罪の意図が明確に表現されています。
この美しく重要な取り組みをしてくださった角川財団と、この教会で私たちを受け入れてくださっているイエズス会の神父様方に、改めて感謝いたします。皆様が良い視聴をされ、日本二十六聖人殉教者の饗宴に参加されることを祈念いたします。